ようこそ山田工業へ。当社は社員3名、全員現場で働く小さな会社です。その分お客様の声が、直接現場につたわりますのでご安心ください。また、どんな些細な工事でもお気軽にご相談下さい。

山田工業は、建築の外構工事をお引き受けします。
【今ある平和の代償】(私が平和ボケから目覚めた瞬間)

「家族旅行」
家族で旅行に行こう!
なぜそんなことを言い出したのか今となっては記憶に無いが、
自分ばかり趣味に金と時間を使う罪悪感からつい口に出てしまったのだろう。

注:メインは家族サービス?なので楽しい画像も沢山ありますが、
  サブタイトル通り戦跡巡りや慰霊などを主に記載していきます。
  また、家族の画像には加工を施していますことをお断りしておきます。


2002年 北海道(家族4人)

2003年 ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(家族4人)

2004年 沖縄県 石垣島(家族4人)

2005年 ハワイ オアフ島(家族4人)

2006年 グアム島(家族4人)

2007年 グアム島(家族4人)

2008年 バリ島(家族4人)

2009年 サイパン島 7月25日〜28日(家族4人)

ここで目の当たりにした光景が私を変える。
  • 戦争=私には縁のない過去の出来事。
  • 森高千里の歌詞に出てくる楽園?
  • ・・・それまでそんな印象しかありませんでした。
  •  
「最後の司令部壕跡」

鉄板の薄さにいかに資源が足りなかったかを感じた。
本当にこれで良いのか? 自問自答。
「バンザイクリフ」
悲しい過去があったとは思えないほど今では美しい景色。
それをバックにピースサインで記念写真をとる日本人観光客。
「今ある平和ってダレのお蔭なんだろう?」
帰国後、嫁に思いを伝えすぐ行動を開始する。

2009年 グアム島 10月10日〜13日(嫁と2人)

子供達の理解と協力を受け二週間と経たずにグアムへ向かう。
以前より気になっていた「ケン芳賀」の戦跡ツアーに参加。※リンク集をご覧ください。
この日は運よく私達夫婦のみで芳賀氏のセダン貸切で各地を案内して頂く。
2日目のツアーで10mを超えるダイブを体験。
遊び心から飛ぶのと迫られて自ら死を選ぶのとは意味が違う。
場所こそ違うが、考える間もなくそれしか選択肢がなかった民間人。
改めて慰霊への決意が固まった瞬間でもあった。


2010年 ※娘の大学受験があり今年は見送り。(靖国神社へは月一回参拝)

2010年10月16日 自衛隊土浦駐屯地(嫁と2人)

「雄翔館」駐屯地内にある施設

この記念館は予科練出身者により設立され遺書、遺品等が沢山展示されています。
「祖国日本の為、愛する人たちのために、尊い命を散らせた若い英霊達に、
感謝の意を表さずにはいられない気持ちになりました。」

2年連続体験できた。
戦車の体験試乗は早めに到着しないと整理券をもらうのが難しいほどの人気。

この頃から戦争アーカイブ展があると聞くとあちこち嫁と歩くようになる。

2011年 沖縄 12月25日〜28日(家族4人)

家族旅行と称した慰霊の旅。

私のわがままに付いてきてくれる。
気持ちを理解しているのか?  子供達2人はもう大人だ・・・

「その他巡った場所」
ひめゆり平和祈念資料館、美ら海水族館、勝連城跡、首里城跡、斎場御嶽

2012年 グアム島 8月24日〜28日(家族4人)
戦跡ツアー代表のケン芳賀さん。ビジネス抜きの熱い血潮。 
※10月に慰霊祭の為帰国した芳賀さんと靖国で再会する。
ニミッツヒルで芳賀さんの説明に聞き入る家族。
「教科書では学べない何かを感じて欲しかった。」

※私たち夫婦は今回でニミッツヒル3回目
顔で笑って心で泣いて・・・
滞在したホテルのプールサイドに鎮座する生き証人。
誰一人それに興味を示す様子はなかった。
まさに「戦争を埋め立てた楽園」と呼ぶにふさわしい・・・

2012年 鹿児島 11月23日〜25日(嫁と2人)
案の定電気系統トラブルで2時間遅れた787
「海上自衛隊鹿屋航空基地」
真珠湾攻撃の訓練は地形の類似する錦江湾で行われた。
浅い水深の為高い技術が必要だったのだろう。
鹿屋から知覧へ向かうショートカットのフェリー移動
知覧へ向かう途中の高台。子供達がいないと新鮮だな〜
「知覧特攻平和祈念館」
もう言葉が出ません。
ただただ手を掌わせる以外ありませんでした。

祈念館に隣接する「隼ラーメン」はとても美味しかったです。


「万世特攻平和祈念館」
この旅の最終章になった地。
館内で「夫婦で時間の許す限りの慰霊をしています。」
そう伝えると、とても丁寧な説明をして頂き時間を忘れてしまいました。
時間があれば枕崎(戦艦大和慰霊碑)まで向かう予定だったが叶わず・・・
ホテルに戻り「竜馬の湯」に浸かり明日は子供達の待つ東京です。
帰る朝、空港までの途中にある「犬飼滝」へ寄り道。
かなりの体力が必要でしたが良い思い出が出来ました。


2012年12月1日 所沢航空発祥記念館
【零式艦上戦闘機五二型エンジン始動見学会】
米国PLANES OF FEME所蔵  実際に飛ぶことのできる貴重な一機
17年ぶりの里帰りとあってものすごい来場者。
9:00からの整理券配布が8:00には配布完了。
私達は7:30に到着したのでなんとか2回目の整理券をゲットできた。



なぜか栄エンジンの爆音もどこか物悲しく聞こえてなりませんでした。

なぜなら、「祖国の地を踏むことはもう無いかもしれない」と関係者談。

2013年 沖縄 8月28日〜31日(家族4人)
「南風原 旧陸軍病院号20号壕」
今回一番訪れたかった場所。
予約が必要なので前もって予約をし時間通りに到着しましたが、
当日のその時間帯は私達家族のみだった為ガイドさんの説明を詳しく聞く事ができ、
子供達が真剣に聞き入っているのに少し驚きました。
「読谷村渡具知 泊城公園 米軍上陸の碑」
米軍は上陸前のわずか数時間で北谷〜読谷の海岸線約13kmに、
5インチ砲約45000発、ロケット砲約33000発、砲弾約22500発を打ち込んだ。
現在は綺麗に整備された公園となり当時の面影はかけらもない。
「読谷村字都屋 都屋漁港のトーチカ」
都屋漁港 実戦には使われないまま現在も放置されている。
「読谷村 瀬名波」
長浜区の犠牲者104柱を祀った「真砂之塔」

「真砂之塔」南側の遊歩道をしばらく下ると海岸へ出られる。
海岸沿いには古墓が多くあり周辺の自然壕には多くの住民が避難したという。

「読谷村 波平 シムクガマ」
碑に刻まれた通り、幸いにもここでは犠牲者は出なかったそうです。
※探すのが難しく、何度か地元の方に伺いたどり着きました。
「読谷村 波平 チビチリガマ」
シムクガマとは対照的に住民85名がここで火を放ち、あるいは毒物や刃物をもちいて
命を絶った場所。ガマ周辺には沢山の折り鶴が供えてありました。
シャッターは切らずに手を掌わせてその場をあとにする。
シムク、チビチリ共にガマの傍にはきれいな小川が流れていました。
命の水だったのだろう・・・ 例えようのない悲しさを感じてしまいました。
私のわがままを許してくれる家族の為、今回はスイートルームをご用意。
最上階で3室とバスルームにTV完備の豪華版。
そこで明日の移動ルートを考える私。
「読谷村楚辺海岸 トーチカ」
干潮時のみ歩いて渡れる自然壕を利用したトーチカ。
3度目のアタックでやっと渡れたがかなり危険。
実戦では使用されなかったらしい。
海が黒くなるほどの戦艦が迫ったのだから無理もないだろう・・
「読谷村 波平 さとうきび畑の歌碑」
チビチリガマを探す途中に地元の方が教えてくれた建立間もない場所。
「なぜここにあるのか?」 「ざわわ」の意味は読んで下さい。
改めて悲しい唄だったことに驚いた。
「新都心 おもろまちDFS前 シュガーローフ」※当時の和名は「すりばち丘」
安里52高地、目前に迫った首里攻防の激戦の地となった場所である。
焼きあがったパンの上に砂糖をかけたようにその丘の上部が白い地獄に見えたのか?
アメリカ南部の菓子パンに似ていることから米軍が勝手にそう名付けた。
現在は擁壁に囲まれ切り立っているが、当時は緩やかな丘だったのだろうか?
悲しいのはオシャレな大型免税店の目の前にあること。
ショッピングを楽しむ観光客がそれを意識することはまずないだろう。
「那覇市牧志 緑ヶ丘公園」
にぎやかな国際通りの近くにある公園。 古墓の壁面にある銃弾痕が痛々しい。
※たまたま通りかかった平和通りで戦争アーカイブ展を発見!!
国際通り、平和通り。その名の由来を知りませんでした。
それは戦後間もなくGHQの力添えを得て収容所の有志が、この通りに国際会館という映画館を頭に10件近い娯楽施設を建設されたそうです。
平和通りはその角に平和館なる建物があったことから平和通りとなったとお聞きしました。
当時、その復興の早さから、「奇跡の1マイル」と呼ばれた通りでもありました。
国際通り、
今ではお土産のメッカとなっていますが大切な何かを忘れてしまった通りでもあります
「その他巡った場所」
嘉手納町 栄橋
読谷村 旧古堅国民学校(復元門柱)
那覇市 泊小学校(校舎入口、時を止めた時計)
読谷村 座喜味城跡

2013年 広島 10月11日〜13日(嫁と2人)
さて、今回の2人旅は定刻通り離陸となるでしょうか?
「中区本川町 本川小学校平和資料館」 ※爆心地からの距離410m
RC造であった為本体には構造的被害はないものの、
熱風で黒焦げた木製ドア枠は想像を絶する。
至近距離からの爆風と高熱により400人の児童、教職員10人、さらに県職員などを含む方々が犠牲になりました。
注:土曜、日曜、祝祭日、学校行事日は休館となります。
この日は金曜日だったので私達は空港から真っ先にここに向かいました。
「中区袋町 袋町小学校平和資料館」
※残念ですが内部画像は各サイトからお探し下さい。
内部は撮影禁止となっていましたが、思いを伝え細部まで撮影はしてきました。
世界遺産ともいえる大切な資料として多くの方々に知って頂きたいものです。
※お亡くなりになられた方々の個人情報が含まれていることは十分理解しています。
「中区比治山公園 比治山陸軍墓地」
画像では明るく見えますが夕刻だったので少々怖かったです。
食事に出かける途中のワンショット。なつかしい・・・
私が生まれた江東区深川にもそれが走っていました。
「江田島 第一術科学校(旧海軍兵学校跡地)
年間7万人を超える来訪者のある人気スポット。
この日の第一回定時見学は100人を超える大所帯。
最後の教育参考館には多くの遺品や展示物があり良い勉強になりました。
「宇垣纏中将」について詳しく知りたくなる。
「江田島 大須山防空砲台、兵舎跡」
林道入り口が見つからず何人の方に尋ねただろう・・・(7人?)
やっと徒歩口を見つけたがそこからがまた大変! 嫁は途中で断念し私一人で腰を超える草木とクモの巣をかき分け現場へ到着したが足元も良く判らず正直相当怖かった。
人ひとりいない山中の駐車場に残した嫁が心配で大急ぎで降りる。
近くにあるはずの「船舶特別幹部候補生第十訓練基地」は見つける事ができず。

呉に戻る途中の「坪井漁港のコンクリート船」も見たかったが見つけられず。
「江田島 三高山砲台跡」
砲台、弾薬庫、監視所ともに建築関係に従事している私も驚くほどの出来栄え。
相当な技術力(職人)がいなければ造れるものではありません。
「呉市 海上自衛隊船溜まり」
白い釣り船の船団は年中見ているが、これは別モノ。
このまま景色として平和の象徴であってほしいと願います。
「呉市 大和ミュージアム」
時間に余裕があったので寄ってみましたがただのテーマパークでした。
呉には類似の施設がありますが全く興味はありません。(無駄使いでした)
「呉市上長迫町 長迫公園(旧海軍墓地)※映画「男たちの大和」撮影場所
すぐ隣に住宅もありますが非常に綺麗に整備されています。
名の通り公園であり子供達が楽しそうに遊んでいました。
高台から見下ろす平和を英霊たちもさぞよろこんでいることでしょう。(合掌)
「平和祈念公園、平和祈念資料館」
あまりにも知られた世界遺産なのであえてコメントはございません。
すべての慰霊碑を巡り合掌させて頂きました。
二度とこのような惨劇が起こらぬよう願うばかりです。
※ただ、若さゆえとはいえカップルの「不謹慎さ」に毛が逆立ちました。
この場に限ったことではありませんが、「場をわきまえてほしい」ものです。
「広島城」※時間が余ったので寄りました。
が、目立たないところにそれはひっそりとありました。
ほとんどの人は目もくれない場所ではありますが重みは「城」と同等では・・・
まあ、こんなもんなのでしょうか?

今回の旅はこれで幕を閉じます。
「その他巡った場所」
縮景園
旧広島大学(当時のままのレンガ外壁)
旧日本銀行広島支店(当時のままの人造左官外観)

「今、私が思うこと・・・」
大義名分は欧米列強からのアジアの解放。
どこで何を見失ってしまったのか?

しかしこの大戦後、15年以内にアジアの植民地はすべて解放された。
これは変える事の出来ない事実であることは確かである。

しかしそれを経験しない私にはそれについて語る資格などありません。

ただひたすらに思うのはその犠牲となった方々の無念さでしょうか。
軍人とはいえ家族や肉親との別れは言い表せないものがあったはず。
ましてやそこに巻き込まれた罪のない民間人の苦痛や無念さは計り知れない。

それを歴史と決めつけてしまうのは早すぎます。
少なくとも歴史は100年すぎてから語られるものと感じます。

現代における若者の自分さえよければといった風潮。
世が世でなければ・・・ 

もし、私達の些細な行動や思いがほんの少しでも鎮魂となるならば、
これからも時間をつくり、各地を巡り、手を掌わせ、
敬意と感謝を込めご冥福をお祈りし続けていこうと思います。

「最後に・・・」
今の日本の繁栄は、先人たちの犠牲の上に成り立っている。

このことだけは忘れてはいけないと思う。

有限会社 山田工業

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